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入間市出身の八木謙斎は源兵衛家の長男として生まれ、江戸時代には織物業で地域の産業を活性化させました。

八木謙斎は京都西陣織を目にし、その後地元に帰って「はた織機」を改良したのち、現在の「川越唐桟(とうざん)」とよばれる「しま織り」を発案します。

また、海外からの糸を混ぜ合わせて「双子織」を開発し、地元に多くの産業をもたらしました。
また、八木謙斎は歌や華道などの趣味においても才能を発揮したそうで、明治時代にはいると八坂神社の神主も務めています。

1:人生を生ききったことをうかがわせる辞世の句

そんな謙斎がうたったこの句です。

「雪の雁 たった処に もどりけり」

「雁」とは秋に遠く北国から飛んでくる鳥ですが、「遠くからこの世にやってきて、誰しも最期は来たところにもどるんだなあ」と、長い人生を振り返ったような、やるべきことを成し遂げて未練はない、というような潔い気持ちをうたったものなのかもしれません。

一言で「地域に産業をもたらす」というのは簡単ですが、何でも情報を集めて新しいことに着手し、地元に根付かせて発展させるということは大変労力のいることです。

2:新事業に必要な人望・好奇心・探求心

当時「情報」といえば、人づてで入るものでしょうから、人望が厚くなければよい情報も入ってこなかったであろうことが容易に推測できます。神主になっているという経歴を見ても、人間の器のあった方なのでしょう。

また、京都の西陣織や海外の糸についてなど、常に最先端の技術や品物に興味を持ち、それをいかに取り入れようかと苦心する好奇心と学ぶ気持ちも備えていたのかなと推測できます。

一つ成功を収めると、その成功にぶら下がりたくなるものですが、勉強に終わりはありません。

3:新しい価値を生み出していく事業の面白さ

先代から継いだ仕事をこなすこと、会社で自分に与えられた役割を果たすことも立派な働き方です。それを次の世代につないでいくことで、日本の経済が発展してきたともいえるでしょう。

昔は「私は八百屋さん」「自分は漁師」「あの人は卸問屋さん」というように、多くの人が「自分の事業」をもっていたのではないでしょうか。それが大きな組織となって人が人を雇うようになったのが現代社会。サラリーマンが悪いわけではありません。

しかし「自分が心から好奇心と探求心をもち、やりがいを感じることをする」という先に、新しい価値観の創造があるのではないかと思います。

私たちは保険代理店を営んでいますが、「埼玉に多い建設業や製造業の方に安心を届けよう!」と新しい試みを行っており、重要な情報や注意点などを発信することからはじめています。

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私たちは家を建てられるわけでも物を作りだすわけでもありませんが、そういう方のお役に立てるということを誇りに思っています。八木謙斎のように悔いのない最後をいつ迎えてもよいように、日々を大切にしていきたいものです。

現場のミカタ
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